athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

大阪第3のふるさと④


大阪第3のふるさと 高石市羽衣は、それまでの人生の中で、一番都会でした。
マンションの近くには南海本線 羽衣駅とJR阪和線 東羽衣駅あり、とても便利な場所
でした。



自慢の強肩

羽衣小学校での思い出は、学校の体育競技会でのソフトボール投げです。
大阪泉佐野市で住んでいた頃、アパートの周辺はほぼ畑や田んぼだったので、友達と一緒に、石を遠くへ投げる競争をしていました。その後、大阪岸和田市春木では、友達と日が暮れるまでハンドベースボールをしたいたこともあり、自然と肩の筋肉が鍛えられていたのです。
なので、競技会のソフトボール投げは1位か、2位の成績でした。
また、ソフトボール大会では、それまでの経験が生かされ、新人転校生の私は無口な野球少年として、小学校ではやや目立つ存在でした。


自転車と並走

羽衣小学生時代の生活は約1年半でしたが、卒業する頃には数人の友達が出来ていました。
その友達とは広大な浜寺公園でよく遊んだ思い出があります。
その友達たち、各自自分の自転車を持っていましたが、私は買ってもらえませんでした。
なぜ、自分の自転車が無かったかというと、決してお金が無かったわけではなく、当時の母は「自転車は危ないから」駄目との理由でした。


なので、私は友達と遊んでいて移動する時は、いつもみんなの自転車の横をひたすら走って移動したのです。今思えば、私の中高時代、比較的持久力があったのはこの時期の自転車との併走のたまものでは、と実感しています。


若い酔っ払いと、一発触発の危機

住んでいたマンションの1階には、飲み屋が数件ありました。
ある日の夜中、ふるさと愛知野間から家族で帰ってきたときのこと。駐車場から母が先にエレベーターに向かう途中、どこかの若い酔っぱらいに母に近づいて、追っかけていきました。母はすぐに走って逃げたのですが、ちょうどその時、母は和服を着ていたので、すぐに捕まってしまいました。


その様子を見て、父と私がかけより、父が「離せ!」と怒鳴ったのですが、当然その酔っ払いは母を離しません。そこでなんと、私はその酔っ払いの手をつかみ、「お願いやから、やめてや!」と、泣いて叫んでいました。


そこに、その酔っ払いの連れが駆け寄ってきて、仲裁に入り、ようやくおさまりましたが、
気づくと、周辺には人が集まっており、何ごとかと大騒ぎになっていました。
その後、あの酔っ払いは「お前ら、何階や!」と騒いでいるのが聞こえ、本当に怖い経験をしたのですが、あの時の私の行動には、今もビックリしています。^^;


っということで、大阪第3のふるさと 高石市羽衣の思いでは以上です。
次回は、生まれ故郷の愛知野間に戻ったころの思い出を綴ります。