athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

大阪第3のふるさと②

大阪第3のふるさと 高石市羽衣では、以前のような外で野球をすることは無くなり、
母の布教活動に月に数回付いていき、それ以外はテレビを観たり、弟とゲームをしたりして、家で過ごす生活になりました。




私の布教活動といっても、幼い私がどなたかをその新興宗教に信者として勧誘することなど出来ないため、教会内にある「子供会」に参加して、大学生や高校生のお兄さんやお姉さんが主催するイベント、ゲームや勉強会に参加して過ごす程度でした。


具体的には、

  • お参りをして、
  • 先生と言われる方のお話を聞いて、
  • 学校の宿題をしたり、

  時には外へ出て、

  • その宗教団体が発行している新聞を配ったり、
  • 近くの公園でゲームをしたり、
  • 近くの駅で募金活動や、掃除したり
  • それと、後で触れますが、もう一つ

こんな活動に参加をしていました。


大阪第3のふるさとでの私は、大阪第2のふるさと 岸和田市春木町で、日が暮れるまでハンドベースボールに夢中になり、小さな広場で走り回っていた私とは、まるで別人になっていました。やや大げさですが、この時期の生活はその後の私に大きな影響を与えたと実感しています。


布教活動の中で、今も忘れない人生初の胸が締め付けられる初恋を経験しました。
月に数回の子供会で、必ず会える大学生のお姉さんがいました。もう名前は全く覚えていませんが、誠に綺麗なお姉さんで、とてもスタイルが良く、タレントに例えると、河合なお子にそっくりさんでした。


おませな私は、その宗教団体の布教活動に積極的参加する、といった考えは全く無く、ただ
河合なお子似のお姉さんに会える楽しみで(楽しみで)、その一心だけで参加していたのを今もハッキリと覚えています。まあ、動機が不純であったことは全く否定できません。
今、どうされているのか・・・、


私の家族5人は、全員その新興宗教団体に入信していましたが、母以外の家族は当時から今に至っても、ほぼ興味はなく、首に掛けていた「お守り」もいつの間にか消え、関係は無くなっていた、はずだったのですが・・・
我が家自慢の娘であり、私の大好きな姉はその後の人生において、姉自身の人生を狂わす大きな出来事がありました。その影響で姉は心のよりどころが必要となり、今も少しですが、関わりを持っています。


ここで私自身の宗教に対する考えを率直に申しますと、
私が入信していた宗教団体と、今世間で話題になっている団体とは全く違うと感じます。
私たち家族に限らず、どんな方でも、世界の平和を祈り、それぞれ一人一人が皆幸福でありたい、そうあって欲しいといった願いを持つことはごくごく当たり前だと思っています。
なので、宗教を否定するつもりは全くありません、とにかく人に迷惑を掛けなけば・・・。


私の布教活動には、先ほど書いた内容以外にもう一つありました。
次回は、その活動について綴ります。