athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

高校生時代の思い出⑥

緊張の試合開始

各選手のゼッケンがコールされ、それぞれが自分で決めたスタートラインに立ち、助走後、ファウルライン手前で投げていました。中には、勢い余って飛び出したり、躓いたり、倒れたりしてファウルラインを超え、ファウルになった人もいました。

いよいよ私の番となり、一投目は距離を稼ぐため、十分な助走距離をとる為、かなり後方に立って、とにかく勢いよく投げました。私が投げたやりには勢いがのり、それなりの距離が出たのですが、結果的に、勢い余ってラインを超え、ファウルとなり、計測不可でした。

追い込まれた私に対する顧問の指示

各選手の一投目が終わり、私と同じファウルをした選手や、最低計測ラインに届かない選手も多く、記録を残している選手は半分ほどでした。その後、二投目が始まると、やはり各選手は日頃の練習の成果が発揮し、記録を残す選手が増えてきました。


徐々に私の順番が迫ってくる中、緊張し焦っている私のもとに、ちょうど他の種目の合間を縫って、陸上顧問の先生が駆けつけてくれました。


 顧問の先生「一投目どうだった?」
 私    「ラインオーバーのファウルでした」
 顧問の先生「お前は助走距離は短くていいよ、それと、少し手前で投げろ!」
 私    「わかりました」


そのアドバイス通り、私は一投目より、助走距離を短くして投げたのですが、今度はあまりにも手前で投げてしまい、ようやく記録は残ったものの、下位争いのレベルでした。


いいか、助走するな!

上位選手のやり投げは確かにフォームが綺麗で、投げたやりは綺麗な放物線を描いていました。ただ50メートル付近でしたので、肩に自信があった私は、とにかく屈辱を感じていました。私の肩の実力を知っている顧問の先生は、私の三投目の前に、つぎのような指示を出しました。
 
 顧問の先生「もう助走はするな、あの辺からステップして、あの辺で投げろ!」
 私    「わかりました」(超テキトーな指示でしたが、実はこれが良かった)


私が投げた予選最後の三投目は、通常の助走する場所からかなり手前で立っていたので、恐らく周囲の人達は、ビックリしたり、呆れて私を見ていたと思います。そんな私はなぜか「見てろよ!」的な気分でいました。その後、軽いステップで投げたやりはブルブル上空で振れながらも、それなりの放物線を描き、なんと50メートルライン付近に刺さりました。その時のスタンドや周囲からは「オー!!」といったどよめきがあったのを今も覚えています。