athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

高校生時代の思い出②

心地よい緊張

武豊高校へ入学する生徒の多くは、地元の武豊中学校や富貴(ふき)中学校の卒業生が占めていました。なので、初めてのクラスでは、盛り上げっているグループは皆、地元出身の生徒達でした。

なので、最初は地元組と、それ以外のいくつかのグループができていましたが、その後は時が経つにつれ、だんだんまとまりだし、早い時期にとても良い雰囲気を感じるクラスになりました。私もその中に自然と仲間に入れたので、持病の胃痛もだんだん治まっていったのを覚えています。私の人生における学校生活で、ようやく安定しだした頃でした。

放課後は、ひたすら走るだけ

武豊高校の硬式野球部には、野間中学校の野球部の先輩がいました。その先輩から入部の誘いを受けました。もともと野球がすきでしたので、私は一つ返事で入部を決めました。その後、すぐに硬式用のグローブを購入し、他の新入部員と共に、初練習の日を迎えました。私は監督に呼ばれ、「お前には投手を予定しているので、体を鍛えてくれ」と言われました。


「体を鍛えろ」そう言われ、戸惑っている私に対し、その先輩が近づいてきて一言「走れ、ってことだよ」と言うのです。私は、「あー、なるほど!」と、その場では理解したつもりでしたが、その後の私の練習は、ただひたすら一人で練習が終わるまでグランドを何周も何周も走ることとなり、ようやくその本当の意味を理解したのは数ヶ月後でした。

挫折

私は足腰には自信がありました、中学校時代に野間の砂場の海岸で鍛えていたので。ただ、毎日毎日2時間以上もただ走るとなると、さすがに体力的な限界を感じ始めました。その影響は毎日の授業出ていました。とにかく疲れきった私は授業中によく寝ていたのです。体力的な限界を感じたと同時に、ボールやバットが持てない練習方法に違和感を覚えた私は監督に異を唱え、結局退部を決めました。今思えば、私は根性が足りなかったのです。