athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

高校生時代の思い出①

駅から遠い武豊高校

武豊高校は名鉄武豊駅から遠く、生徒はバスか、自転車か、徒歩のいずれかで学校へ通わなければなりませんでした。今思えば、バスの定期券を買って毎日バスに乗ればよかったと思うのですが、私は野間中時代の同級生らと徒歩で3年間通いました。

駅から高校までは、ほぼ一本道なのですが、歩道がせ狭く、所々路肩を歩かなければならず、これが通学路か?という思いで通っていました。なので、その狭い道を2人並びで、しゃべりながら歩くと、車や自転車がすぐ横を走って行くので本当に危険で苦痛でした。雨の日などは車がはねた雨水をもろに受けたりしますので、学校に着いた時には、制服はびしょ濡れ状態でした。


駅から遠い高校だったので、毎朝早めに家を出ていたのですが、たまに寝坊した日は最悪でした。とにかくその狭い歩道や路肩を重い鞄を持って走ったり、早歩きをしなければならなかったので、駅から徒歩で通う生徒は皆、自然と足腰が鍛え、持久力がついたと思います。

野間は田舎

今でもあの当時の私の想いは覚えています。やはり野間の田舎から出てきたこともあり、当時は武豊町が都会に感じました(今はそう思いませんが)。それと、やはり中学と高校では、学校の雰囲気は全く違って、周りの上級生を見ると皆大人のように見えました。


その頃の私は大阪で染みついていた、こってりの関西弁は消え、ほぼ標準語(知多の標準語)でしゃべるようになっていました。ただ、たまに「変なしゃべり方するなあ」っと突っ込まれることはありました。周りからゲラゲラ笑われるようなことはありませんでした。

小柄な先生は字がお上手

記念すべき高校1年生の先生は小柄で、凄くお腹が出て、大声でしゃべる元気な先生でした。ただ黒板に書く字は滅茶苦茶に上手な字を書いていました。私は字が上手く書ける人を心から尊敬しています。私は大阪岸和田市春木町時代に習字の塾へ、一応通っていたのですが、真面目に通っていなかったこともあり、何かに記帳(サイン)するときなどは、今も恥ずかしい思いをしています。^^;