athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

中学生時代の思い出⑮

合格祝いは、金色の名前入りボールペン

私が高校受験で無事に合格できたことを一番喜んでくれたのは、私の母でした。当時の父は出来の良い姉には優しく、出来の悪い私には全く関心がなかったようで、会話らしい会話をした記憶はありません。もともと父は寡黙な人でもありましたので。

ただ親戚の中で、私の合格を特に喜んでくれた人がいました。母の弟にあたる叔父でした。その叔父がある日、玄関に突然現れ私に、「よかったな、これは合格祝いだ」っと、私にプレゼントを手渡してくれたくれたのです。開けてみると、金色の高価な名前入りのボールペンでした。おそらく結構高いもので、とても学校では普通に使えないキンキラなボールペンでした。その後社会人になって以降、約30年間、いろいろなことがありましたが、今も大事に使っています。


数少ない友人との別れ

私は大阪の小学校を卒業し、中学校は生まれ故郷の野間中学校からスタートすることになりました。こってりの関西弁を操る私はいつもしゃべるたびに、周りから失笑され、本当に辛い学校生活が続いていました。そんな中で、一人だけいつも私に声をかけてくれたクラスメートがいました、岸〇君です。彼は物静かですが、人懐っこい笑顔でよく話しかけてくれました。当時の私はどんなに励まされたことか、彼への恩は今も決して忘れません。


その岸〇君は名古屋の私立高校へ進学することになっていたので、残り少なくなった中学校生活は、毎日のように互いの家でよく遊んだのを思えています。当時、よそ者の私に対し、周りを気にせず、よく声をかけてくれたことへの感謝の気持ちは今も忘れません。今はどこでどうしているのか。。。


思い出に残る中学3年生の卒業式

その当時、TBSの金八先生が流行っていて、社会現象となったあの名ソング「贈る言葉」は何度も何度も耳にし、皆でよく涙して合唱したものです。まるで皆があのドラマの主人公になりきっているようでした。


感動の卒業式を終え、部屋に戻った私たちに対し、担任の先生は思い出話を終えた後、自身の十八番を歌ってくれました。正直にいって、なんの歌かさっぱりわからず、その歌には全く感動しなかったのですが、ただ涙して歌う先生に感動して皆が泣いて聞いていたのを今も覚えています。