athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

中学生時代の思い出⑭

嬉しさ、微妙な合格通知

私は滑り止めとして、名古屋の私立高校を受験し、既に合格通知を受け取っていましたので、もし武豊高校が不合格となっていたら、その名古屋の学校に通うことになっていました。野間から名古屋まで通うとなると、毎朝、超早起きをしなければならず、朝の弱い私は
何が何でも、たとえ胃がどうなろうとも、武豊高校に合格するしかなかったのです。


最終的にどの高校を第一希望として受験するかは、担任の先生、受験生親子間で決めるわけですが、無事に受験資格の目安となる内申書の基準を満たしていたこともあり、担任の先生も武豊高校を進めてくれましたので、私も親も迷うことなく武豊高校と決まていました。私の受験した年は、大変珍しい事が起きました。例年ですと、合格定員に対し、受験者数がいくらか上回るのが普通ですが、なんとその年は360人の定員に対し、ぴったりの360人の受験生が応募したのです。
余程の試験結果でなければ不合格にならないのでは・・・といった話は確かにありましたが、私は合格通知を受けました。何はともあれ私は武豊高校に合格したのです。嬉しさは微妙でしたが(^^;

多くのいとこの中では、私が初

実は私には20人を超えるいとこがいます。そのいとこの中で、私が初めて武豊高校に入学することとなりました。それまでのいとこは皆、地元知多半島では優秀校で有名な半田高校へ進学していました。姉は大阪にいる時から、本をよく読み、塾へはちゃんと通い、一人でもよく勉強していたので、当然のように楽々、半田高校へ進学していました。


ちょっと気になる思い出があります。
盆や正月には大勢のいとこ同士が集まるのですが、当時半田高校に通っていたいとこ達と、一緒に食事をしたり、遊んだのを覚えていますが、正直、劣等感を感じていましたのを今も覚えています。その後、私が命を救ってあげた弟が武豊高校に入学することとなり、兄としては、少しだけ気が楽になったこともよく覚えています。もっと勉強しておくべきでした、今も反省しています。