athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

中学生時代の思い出⑪

3年生時の担任の先生

私を悪ガキどもから救ってくれた担任の先生は社会科を担当されていました。とても温厚な先生で生徒からの評判はよかったのを覚えています。

新学年の始まりは、いつも体育館での全体集会から始まりました。行事の終盤頃に、各クラスの担任の先生の名前呼ばれ紹介されるのです。私のクラスの担任の先生の名前が呼ばれた時は、大きな拍手であったり、喜びの大歓声があがっていました。残念ながら、中には期待外れで、失笑が聞こえてくる事もありました。


社会科が得意に


やはり、先生が好きになると、自然と勉強にも熱が入り、成績が伸びたのを覚えています。私の場合、特にその社会科がきっかけとなり高得点が取れるようになりました。その後、他の教科も上がりだし、最初は不可能と諦めていた志望校にも手が届くところまできていました。

受験資格の内申書

ただその志望校を受験するには、どうしても「内申書」の条件をクリアしなければなりませんでした。当時はあと1点取れば・・・といった微妙な状況だったのを覚えています。その1点を得意の体育で取れると楽観していたのですが、そこで大きな問題が起きました。


苦手の鉄棒

得意としていた体育で、思わぬ壁に当たりました。その時の体育の成績は鉄棒のでき次第で大きく評価が左右されることになったのです。具体的には鉄棒を使って「蹴上がり」が出来なければ評価すらされなかたのです。私は授業ではその蹴上がりが全く出来ず、テストの日が来るまで、毎日毎日近くの野間小学校で一人練習に励みました。


超苦手だった蹴上がりが・・・

私のそれまでの人生で一番頑張ったのでは、と思うくらい毎日毎日野間小学校の鉄棒で練習をしていました。そのせいで、手にはいくつも豆ができ、その豆が潰れていましたが、とにかく必死で練習しました。そしてある日、突然出きたのです。成功したのです。
その時は私本人が一番ビックリしました。その後、コツをつかんだ私は体育のテストでは華麗に成功し最高得点でした。その結果、とうとう私は待望の志望校の受験資格を獲得できたのです。その時の母は大変喜んでくれて、その笑顔は今も忘れません。