athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

中学生時代の思い出⑩

初めての経験、肩の故障

私は大阪の幼少時代、大きなお兄さん達と一緒になって、石を遠くへ投げる競争をしていました。その頃から肩を自然に鍛えていたことが影響したのか、肩には自信がありました。
そんな私が、いつの日からか肩が痛み出したのです。投げるたびに肩の筋肉がチクりと痛むようになっていました。


そんな私の肩の異常に気づいた顧問のあの怖い先生は、しばらく投げるのをやめるよう、私に指示しました。毎日の練習でも軽いキャッチボールはするものの、ピッチング練習はしませんでした。


その時以降、顧問の先生は私の肩のマッサージを良くしてくれました。それもでなかなか痛みは治らなかったので、練習試合などでは、私の代わりに名前は忘れましたが、左利きのピッチャーが投げるようになりました。その時は私はサードで試合には出ていました。
ただ、サードって、よく打球が飛んでくるので、大変忙しかったのを覚えています。


進学への備えを優先した私

相変わらず私の肩の調子は回復せぬまま中学3年での野球部生活はいよいよ本番を迎える時期に差し掛かっていました。ところがそんな大事な時期を迎えた当時、私の勉強の遅れを心配していた両親から、進学塾へ通うように強く言われ続けていました。元教師の叔父の塾へも通っていましたが、親の期待するレベルではなかったのです。


その進学塾は名古屋にあり、毎週野間駅から名古屋まで片道約1時間、当時の電車賃は片道500円くらいだったような。(今は倍以上では?、とにかく名鉄電車は高い、という印象が今もあります。)


名古屋の塾へ通い出した私は土曜日や日曜日の野球部の試合を休むようになり、顧問の先生をはじめチームメートからはいろいろ言われたのを覚えています。最終的に、顧問の先生からは「自分のことを優先する奴をレギュラーにおいておくことは出来ない」とハッキリ言われ、レギュラーから外され、補欠にまわったたこともよく覚えています。
今思えば、当時の私はなぜ野球を優先しなかったのか、私の野球人生の中で、一番辛く悔いの残る時期であったと思います。