中学生時代の思い出⑨
叔父は元教師
私中学生時代の授業は、とにかく胃がチクチク、キリキリと痛むこともあり、よく保健室に通ってました。午前中はやはりつらく、給食を食べた後は、その痛みが無くなるのですが、
やはり空腹になると、また痛みだしていました。
なので、成績はあまり良くなかったのを覚えています。胃の痛みで授業をまともに受けれなかったためではなく、もともと頭の出来自体が良くなかったのと、やはり努力が足りなかったと反省しています。
そんな私を心配し、母は元教師だった叔父に相談をしたようです。その叔父はややボランティアのような形式で、近くの子供たちに勉強を教えていました。そこに私は通わせてもらい、学校での遅れを補っていました。とにかく何をどう質問しても、すべて完璧に教えてくれる叔父で、また、人柄もよく、他の子供たちからもよく親しまれてくれたのを今でも覚えています。ありがとうございました。
よそ者の私と、やんちゃな後輩たち
私は大阪から戻って以降、やはり生まれ故郷といっても、私のことを昔から知っている人は一人もいないこともあり、友達と呼べる友達はほぼいませんでした。正直当時の私は田舎にありがちな、よそ者扱いをもろに受けているように感じていました。特に地元のやんちゃな後輩からはよく嫌がらせを受けていましたので。
わざと、ぶつかってきたり、睨まれたり、行く手を阻まれたり、とにかくよくいじめられました。ある時期から、学校の門に悪ガキが集まりだし、私が門の外に出て帰るのを阻もうとする行為をしだしたのです。最初のうちは相手にせず、何とか対応していたのですが、日が経つにつれだんだんエスカレートしてきました。
悩んだ私は母に相談し、母から担任の先生にも相談してもらいましたが、悪ガキどもの行為は巧妙になり、学校の外で待ち伏せするようになったのです。もう耐えられず、必死で担任の先生に助けを求めました。結果的に担任の先生が悪ガキどもに対し厳しく指導してくれたことで、大事には至りませんでした。私自身、1対1であれば、それなりの対応はできますが、複数が相手となるとやはり無理です。この時も大阪へ戻りたいと思った瞬間でした。
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