athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

中学生時代の思い出⑧

野間海岸の砂場は練習場

私は3年生になり、野球部のエースとなって以降、時間があれば、家の近くの野間海岸をガンガン走っていました。足腰を鍛えるには砂浜はとても良い練習場でした。その練習の成果もあり、足腰は強くなり、体腰回りが大きくなった時期でした。当時の砂浜は潮が引くと、遠くの沖の方まで砂浜が広がっていましたので、広い運動場のようでした。最近では、温暖化のせいか、潮が引いても昔のように遠くまで潮が引いていないのが大変残念です。


ただ、もともと暗い場所が苦手だった私を苦しめる場所でもありました。その場所は、海岸と道路を結ぶ車が走れないくらい狭く細い道です。どうしても家と海岸を行き来するには、この細道は避けられない場所でした。とにかく街頭がなく、足元にはカニがウロウロしていて、もともと人通り自体少ない道です。
練習でバテバテであった私はいつも、その場所だけは猛ダッシュで走り抜けていました。


母は海坊主?

なぜ、こんなに私が意識するのかというと、その昔、祖母と母が私にこう言っていたのです。


「昔から野間の海岸ではよく人が海でおぼれて死ぬんだよ。海になあ、海坊主がいてな、人を捕まえて、海の中へ引きずり込むっていう言われがあるから、海で遊ぶときは、遅くまで遊ばないように」っと。


なので、私は海岸でたまに人影を見つけたら、すぐに向きを変え引き返えしていました。ただその細い道だけは引き返すことがでできず、人影がいないことを十分確認して、猛ダッシュで走り抜けていました。
忘れもしないある日の薄暗い夕方、その細い道で急に私に声をかける海坊主?が出たのです。もうビックリして、その瞬間の私は「ワァ!」と大声をあげて、数メートル以上飛び跳ねていました。なんとその海坊主は、私の母でした。ひきつって驚いている私を見た母が大笑いしているあの姿を、今もよく覚えています。母は帰りの遅いバカ息子を探しに来ていたのでした。私の寿命が数年縮まった瞬間でもありました。