athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

中学生時代の思い出①

私は大阪第3のふるさと 高石市羽衣小学校を卒業し、愛知美浜 野間中学校に入学することになりました。


笑われた関西弁

生まれ育った愛知美浜野間でしたが、当然のことながら、私は誰も知らず、クラスのみんなも私のことは知りません。皆が「何だコイツは?」ってな顔で見られ、初日からポツンと一人でした。
初日は、担任の先生から自己紹介が始まり、それぞれ自己紹介をしていくことになり、いよいよ私の番となりました。
「大阪から戻ってきた・・・です。よろしくお願いします。趣味は野球です。」
この一言に、クラスは爆笑でした。
美浜野間では、やはり関西弁は奇妙なに聞こえたようです。
それ以降、私がしゃべるたびに、教室中が変に盛り上がり、私はどんどん落ち込み、孤立していくのを感じました。


胃潰瘍

美浜野間中学校に通い出して間もなく、とにかくお腹の左部分が異様に痛みだし、母にそれを告げると、「学校に行きたくないの?仮病はダメ!」と、私の体調不良を信じてくれませんでした。
仕方なく学校には通い続けたのですが、そのお腹の痛みは治らず、日に日に痛みが持続するようになっていました。
教室での授業中も、グランドでの体育の時間も、しょっちゅう左のお腹に手を当てる私の姿に、ようやく担任の先生が心配し、母親を呼び出してくれました。
その後、母と一緒に医者に行き、診断してもらいました。


結果は、なんと胃潰瘍だったのです。
大阪での幼少時代に3回引っ越しをし、友達が出来たかと思えば引っ越し、友達もろくに出来ずにまた引っ越しと、私の幼少時代の精神的な心労のダメージはとうとうピークに達していたのです。


保健室での試験

関西弁をしゃべる私は、周囲のクラスメートになかなか馴染めず、本当に苦労しました。
田舎に戻ってきた私は、「大阪に帰りたい」と何度も思いましたが、その大阪にも友達はいないのに。それでも田舎ものとは友達になれない、と一人悩む日々でした。
結局、精神的に疲れ果てていた私は保健室に駆け込み、中間テストやら期末テストなどは、保健室で試験をする事が多くなりました。とにかくお腹の痛みは薬を飲んでもなかなか治らなかったのでした。