athome-hidenoriのブログ

自分の人生のありのまま綴り、自分が育ったふるさとへの思いを綴り、今の自分の思いを素直に綴ります。

わがふるさと 愛知美浜町野間

幼少のころ、約10年間、家族と大阪で暮らし、知らぬ間に関西弁を身につけた私は、生まれ故郷の愛知美浜町野間へ戻ってきました。


元気が良すぎる祖父

私達家族は野間に戻り、祖父と祖母が住む家へ入り、一緒に住むことになりました。
当時の祖父は非常に元気で、家の廊下をいつも走っていました。
その祖父は、とても大相撲が大好きで、NHKの大相撲中継が始まると、ビールを片手に熱狂して観戦していました。


その大相撲中継も終盤にさしかかると、その熱狂ぶりは最高潮に達しました。恐らく家中だけなく、ご近所にも、その大声は届いていたと思います。
その祖父は、声だけで無く、拳を上げては前に、上半身は右へ左へと、大きく揺らしているので、私たち家族はテレビを観るよりも、その祖父の様子を見て、大笑いして楽しんでいました。「え~~~い!そうだ!そこそこ!」、「よ~~~し!いいぞ!」大笑。


怖かった祖母

もう随分昔のことなのですが、やはりよく覚えています。
当時のヨーグルトって、かなり高価な食べ物だったと思います。
そのヨーグルトは、祖母にとっての大事な健康維持の為の健康食品の一つでした。


私はそのヨーグルトをなぜか食べてしまったのです。
なぜ食べたかは今も記憶に残っていませんが、間違いなく食べたのです。
怒った祖母は娘である母に対し、酷く怒っていました。怒られている母の横で、正座している私は本当に辛かったのを覚えています。私が悪いのです。
食べ物の恨みは怖いと知った時でもあり、同時に祖母が怖い事を初めて知った瞬間でした。


とても厳しかった祖母

家は非常に広く、廊下も長かったので、暗がりが多い家でした。
既に中学1年生になっていたのですが、本当に気が小さい私にとっては毎晩が肝試し状態でした。とにかく家を移動するときは、あちこちの部屋の灯りや廊下の灯りをつけながら部屋を行き来していたので、灯りのつけっぱなし常習犯した。そんな私に、呆れ果てた祖母はとうとう「電気のつけっぱなしを見つけたら、罰金を取る」と言い出したのです。まさかとは思いましたが、祖母は本気だったのです。その後も気の小さい私は暗いのが怖くて、よくつけっぱなしにしていたので、その都度、母が祖母に罰金を払っていたようです。そのことを後で知った私は本当に辛かったなあ。あらためて、「お袋、ごめんね」。